配管や鉄骨が散乱
手つかずの建屋内

  
前衆議院議員 
川内 博史
(かわうち・ひろし) 

代表理事 高比良美穂  今年3月、福島第一原発1号機の原子炉建屋の中に、東京電力関係者以外の第三者として初めて入り、現地調査を行った人物がいる。震災直後から地震での非常用冷却装置の配管損傷の可能性を指摘し、第三者による原発現地調査の必要性を強く訴えてきた川内博史前衆議院議員だ。「どんな事故でも、現場検証なしで、原因の特定はできるはずがない」という問題意識と真実を伝えたいという信念のもと、被曝を覚悟で撮影してきた原子炉建屋内の映像を見せてもらいながら、調査時のことやこれまでの経緯を聞いた。


4階奥――東電関係者以外の第三者として初めて、1号機の建屋に入り、映像撮影をしてこられました。

 3月13日と28日に、1号機の原子炉建屋にそれぞれ30分ほど入り、調査してきました。中は薄暗く、床には鉄骨やがれきが散乱していました。専門家もまだ現場検証に入っておらず、全く手つかず状態で、これが原発事故の現実なのだと実感しました。


――これまでの報道関係者の取材も、比較的放射線量が低い4号機内か、その周辺から撮影したものだけでした。相当な被曝量だったのでは?

 原子炉建屋に入るには「放射線業務従事者」の資格が必要です。私も講習を受け、資格をとりました。資格取得者は「放射線管理手帳」をもらえます。その管理手帳に記録された被曝量は、1回目5ミリシーベルト、2回目6ミリシーベルトの計11ミリシーベルト(※)でした。

※ 1ミリシーベルト=1000マイクロシーベルト。国際放射線防護委員会(ICRP) の定める国際基準によれば、一般人は年間1ミリシーベルト、放射線業務従事者は5年間で100 ミリシーベルトと被曝線量限度が定められている。


調査の結果を明らかにし
原因解明に向けた検証を


――かなりの被曝を覚悟で現地調査、現場撮影をされたのはなぜですか?  

 経緯をお話しなければなりませんね。東日本大震災の直後、私は国会議員の有志を集め、勉強会を立ち上げました。3月中旬のことです。
 3月25日の会には、福島第一原発の設計に携わったサイエンスライターの田中三彦さんをお招きしたのですが、その時、田中さんが「福島第一原発の1号機で重要機器が損壊した可能性が高い」と指摘したのです。
 1号機には、電源がなくても8時間程度、炉心冷却が可能な非常用復水器(IC)がついている。そのICが地震直後に自動的に起動したにも関わらず、手動で止めたという情報があり、専門家たちも、「なぜICをわざわざ止めたのか」と不思議がっているというのです。田中さんは「地震動でどこかが損壊し、原子炉内の圧力と水位が低下したことに運転員が反応したのではないか」と考えたわけです。
 当時、衆議院科学技術・イノベーション推進特別委員長を務めていた私は、委員会の事前打ち合わせの際に、政府と東電の担当者に停止理由を聞きました。すると、「原子炉圧力容器温度の変化率が一時間に55度を超えないように停止操作」という『事故時の運転操作手順書』の通りという回答でした。
  そこで、8月26日の委員会で手順書の提出を要求し、出てきたのがバーコードのような黒塗りの資料です。


nature――海外でもかなり話題となり、科学雑誌の表紙にもなりましたね。

 この文書は象徴的です。当時は、聞けば聞くほど、核心のところで「分からない」という回答が多くなる一方でした。どんな事故でも現場検証をしっかり行い、再発防止につなげるものですが、原発に限っては何も明らかにならないまま、再稼働の議論だけが進んでいく。私は、とにかく、原因解明に向けた第三者や専門家の現場調査が必要だと訴え続けました。こうしたやりとりを通して、手動停止の背後にある「地震による原子炉配管損傷」の可能性が見えてきました。


――2012年2月、原子力安全・保安院が、「地震原因説」の可能性も認めたととれる回答書を出しました。背景には、そうした川内さんたちの追及があったのですね。

 私は、まさにその回答書の中の「観測された地震動も踏まえた更なる解析作業や収束作業の進展に応じた現場確認等を通じて検証することが必要と考えている」との文面を拠り所に、東電と政府から調査への参加の約束をとりつけたのです。


――原因の違いは、私たちの生活とどうかかわっていくのですか? 

 東電は、原発事故の原因は津波による全電源の喪失であり、津波対策をすれば安全性が向上するとしています。今年7月には、原子力規制委員会が「津波対策」に主軸をおいた新しい「安全基準」を施行する予定になっています。
 しかし、もし原子炉配管の損傷があったとなれば、日本全国の原発の配管をもう一度見直さなければならないでしょう。
 本来、原因をはっきりさせることの方が先のはずです。だから、できるだけ広く、事実を共有できればとの思いから、この映像を公開しています。


大物搬入口――映像は、それだけで多くを語ってくれますよね?

 まさに。以前、国会事故調が現場調査を求めた際、東電は「中が真っ暗で見えない」との理由で調査を拒んでいたそうですが、実際には4階の天井にあたる5階の「大物搬入口」の穴が、約5メートル四方開いていて光が差し込み真っ暗ではありませんでした。ちなみに、その部分の重さ1.5トンのふたは、どこにも見当たりませんでした。


――ふたがないということは何を意味するのでしょうか?

ふたが残っていなければ、水素爆発の爆風で吹き飛んだと考えるのが妥当だと思います。5階での爆発ならふたは閉まったまま、もしくは下の階に崩れ落ちていると考えられますから、私はふたの下の4階で爆発があり、その爆風で、上方向に吹き飛んだ可能性が高いと考えています。 しかし、東電や政府は「津波の影響で5階の格納容器の圧力が高まった結果、格納容器の隙間から水素ガスが漏れて水素爆発が起きたのではないか」と言い続けています。ですが、もし4階での爆発であったならば、地震の揺れで破損した復水器と配管の隙間から水素や放射性物質が漏れた可能性が高くなります。つまり配管損傷の可能性を示す重要な証拠になり得るわけです。


――当日同行した東電の方にも聞いてみたのですか?

 東電の方に「もしかしたら、大物搬入口のふたが閉まっていた可能性があるということですね」と聞くと、小さな声で「はい」と答えているのが映像にも記録されています。
 そして、このひどい壊れ方を見て、私が「4階で爆発が起きた可能性もありますよね」と聞いたら、「その可能性はあります」と答え、否定はしませんでした。


――他にも東電の報告と違っているところがあったそうですね。

 東電の資料「地震によるICへの影響について」によれば、2011年10月18日に現場水位を確認した「目視点検結果」というタイトルで水位計の数値がA系「65%」B系「85%」とあります。当時、東電はこの数値を根拠に「非常用復水器は壊れていない。正常に作動していた」と説明しています。私が今回の調査で撮ってきた映像には、A系「70%」B系「98%」と映っています。
 東電の発表と違う理由を問うと、東電の方は、「震災以降、点検をしていないので、正確な値を示しているかどうか、今の段階では分からない」と答えました。さらに「数値は信用できないのか」と問うと、「そういうことですね」と認めました。つまり、これまで根拠としていた水位計の値が違っていたことで、その根拠が根底から覆る可能性があるわけです。


――現場で実際に中に入ってみて、実感したことは?

 原発の中に入るには、重さ20キロほどの防護服を着るのですが、作業服を着てから、戻ってきて服を脱ぐまでの時間というのは1時間半から2時間かかります。外気温が14度だった28日でも、動くだけで汗が噴き出してきました。防護服のマスク部分が曇り、視界がかなり悪くなる上に、息苦しい。何かが散乱し、壊れているということはわかりますが、それがどういう損傷具合なのかまでは、とても目視では確認できません。現場での目視確認だけからの判断は難しいと身をもって知りました。
 やはり、現場に行けば、いろいろなことが見えてきます。東電や政府としては、彼らなりに「津波で全電源が喪失し、メルトダウンした」というストーリーを描いています。「津波対策をして、どんな時も電源を確保しているので安全です」と説明し、また原発を動かすことを考えているのです。彼らの気持ちとしてはよく分かります。しかし、そうではない可能性もあるとすれば、実際はどうであったのかを論理的、科学的に検証する必要がある。自分自身のストーリーに沿った証拠を集めて、国民を説得するだけでは、私は不十分だと考えています。


「新たなステージ」に向けて
みんなで幸せになれる道を


――今後の原発やエネルギー政策についてはどうお考えですか?

 確かに原発は、経済成長の過程では効率がよく、必要とされた電源だったと思います。しかし、日本の新たなステージのためには、大規模集中型の電源ではなく、小規模分散型の電源にして、各地で雇用を生み出し、地域の経済循環につなげていく道を模索すべきだと思っています。
 私たちは、将来にわたり効率的、合理的であるかのように見えた大規模集中型の原子力発電所が、実はひとたび何かあると極めて非効率で高コストなものに変わると知りました。そして、なにより、すべての生きとし生けるものの生活を狂わせていくことを。
 私は社交ダンスをたしなむのですが、あるときダンスの試合会場で、声をかけてくる人がいて、「どちらから?」と尋ねると、浪江町で原発被害に遭い、静岡に避難してきたと。仕事もなく、これからのあてもない。でも、ダンスが大好きだから浪江町から出る時に、ダンスのドレスだけは持って逃げてきたと言うのです。
 一人ひとりの人生を大きく狂わせてしまう事故のリスクを抱えて、原発を推進するより、もっとみんなが幸せになれる道があるのであれば、私はそちらを選びたい。その処方箋をみんなで考えていけると確信しています。
(聞き手 高比良美穂)


■プロフィール
川内 博史(かわうち・ひろし)
川内博史 1961年、鹿児島県鹿児島市生まれ。前衆議院議員。86年に早稲田大学政治経済学部卒業後、大和銀行入行。88年に大月ホテル取締役、92年にクロス・ヘッド株式会社取締役を経て、96年に衆院選初当選。5期連続当選を果たし、文部科学委員長、沖縄及び北方問題に関する特別委員長、国土交通委員長、科学技術・イノベーション推進特別委員長などを歴任。
■ホームページ http://kawauchi-hiroshi.net
■川内博史撮影映像 福島第一原発1号機原子炉建屋(Youtube)



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